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  氏   名   宮代  紘一    (出生地: 東京、   生年月日: 1943(昭和 18)年 1 月 26 日)
 住  所  142-0052   東京都品川区北品川 4-11-8-701    (自宅兼事務所)
  E-mail   tokyoborn@good-wine.com
  Telephone   03-6421-7804

青い地球  150 億年の膨張宇宙の中の2つあるかどうかわからない青い星に人間として生まれて、わずかに 80 年間前後生きる権利を与えられた。しかし、自分で生きられる人生の小道は1本のみで同時に2つの道を歩くわけにはいかない。どの道を選んでも、必ずその道の横には平行して三途の川が流れていて、何かの拍子に足を踏み外せばいつでも生きる権利を剥奪されて無機質に戻ってしまう。それなら生きている間に自分の可能性を精一杯に活かそうと思い、他人に迷惑をかけずにやりたいことをやって、地球上の好きなところに住んで1日1日を大事に生きたら次のような足跡が残りました。これからも、生きる哲学は変わらないでしょう。




















経  歴  書

1966年(S41)3月 東京外国語大学インドネシア語科卒業
1966年(S41)4月 外務省入省(入省言語:英語)、国際資料部分析課に配属(内外の資料を集め国際関係の進展を分析および予測、外務省内および他省に報告書を配布。米国の主要紙の社説などを翻訳)。
1967年(S42)9月 外務省研修所にて 6 ヶ月間の国内研修(在外公館勤務のための研修、含む英語研修)。
1968年(S43)3月 アイルランド共和国ダブリン市にて 7 ヶ月間の英語研修(ケンブリッジ・インスティチュ−ト、ダブリン大学、トリニティ・カレッジに在席)。
1968年(S43)9月 在インドネシア日本大使館配属(半年間、副領事として査証発給、法人保護の業務、次いで 3 年間大使秘書(プロトコル・オフィサー)、および 1 年間政治部三等書記官として情報収集、分析、対官庁折衝に従事。また、在勤中を通じて翻訳、通訳を経験)。
1973年(S48)4月 インドネシア在勤より帰国、外務省国連局政治課に配属(主として朝鮮問題を担当、大臣の国会答弁書作成、国際世論調査、米国および韓国の外交団と頻繁に協議、ニューヨークの国連総会に2ヶ月出席)。
1974年(S49)1月 外務省を退職。鉄鋼専門商社「阪和興業」東京支社に入社。
1974年(S49)1月 貿易部に配属(8ヶ月間東南アジア向け輸出に関し、貿易実務、業界知識、船積書類作成などの実務研修)。
1974年(S49)9月 阪和興業のジャカルタ支店開設のためインドネシアに赴任(事務所開設後、初代所長として7年間同事務所を運営。日本からの鋼材輸入、インドネシアからの冷凍えび、木材の輸出、現地職員の採用、教育、対官庁折衝などに従事)。
1981年(S56)7月 インドネシア駐在を終え帰国、阪和興業を退職。インドネシアの鋼材加工センター「アリムアグン」社に入社(資本金 24 億円、従業員数 700名の当時同国最大の民間工場)。副社長として原材料輸入、生産・労務管理、現地マーケットへの製品販売を担当。主要取引先:新日鐵、神戸製鋼、豪州および欧州の鉄鋼メーカー)。
1983年(S58)8月 インドネシア政府による鋼材輸入規制、過大な借入金の金利負担のためアリムアグン社が倒産。帰国。ヤンマー・ヂーゼル、明通(広告会社)、日本コンベンションサービスなどの外部翻訳者(主として日本語から英語)。
1984年(S59)4月 機械輸出専業商社「茶谷産業」大阪本社に入社、機械輸出部に配属(半年間ロス・アンジェルス事務所開設準備、米国へ 2 ヶ月出張し、市場調査)。
1984年(S59)9月 米国ロス・アンジェルスに茶谷産業の支店開設のため赴任。初代所長(自動車タイヤ、特殊運搬車、エアコン、小型建設機械などの市場調査と販売に従事。三菱重工エアコンの米国内販売網を構築)。
1987年(S62)10月 長男の脳腫瘍再発にともない家族で帰国。東京支社に配属(医療、測定機器の中国、中東、アジアへの輸出を担当)。
1988年(S63)4月 長男の看病のため「茶谷産業」を退職。翻訳会社「(株)コムサス」を設立。同社代表取締役(資本金1千万円、主要顧客:IBM、いすゞ自動車、日立製作所、小松製作所、東芝磁気ディスク部門、アマダ、アマノ、三豊、等)。
1990年(H2) 7月 「(株)コムサス」を友人に譲渡(当時の月商 2,000 万円)。「日本薬品開発(株)」に入社、同社のロス・アンジェルス所在の米国法人である「グリーン・フーズ」社副社長(現地総支配人)として赴任。健康食品の製造、販売を指揮、管理。年商 2,500 万ドル。
1992年(H4) 8月 「グリーン・フーズ」社を退職、帰国(老齢で病弱となった東京の両親と住むため)。日本薬品開発を退職。
1992年(H4) 9月

「宮代翻訳/通訳事務所」(個人事業)を設立。フリーランスで翻訳、通訳、コンサルタント、講師などのサービスを提供。

その後の活動については、以下の「フリーランス活動履歴」をご覧ください。

特記事項 上記の実務経験を通じて、通訳、翻訳、企画書と報告書の作成、契約書の作成などを日常的に行ってまいりました。この経験を生かして、現場に即した翻訳、通訳、授業を行っております。


フリーランス活動履歴(2003年1月現在)

事務所設立から現在にいたるまで、翻訳を主とし、それ以外の通訳、コンサルタント、講師などのサービスを平均して 7:1:1:1 程度の割合で提供してまいりました。以下は、マイルストーン的な意味合いを持つイベントを列記したもので、この間も途切れなく翻訳ジョブ(英語:インドネシア語 = 9 : 1)を受け、1 年に2、3 回英語、インドネシア語の通訳を行ってまいりました。

1992年(H4) 9月

「宮代翻訳/通訳事務所」(個人事業)を設立。

1993年(H5) 1月

文部省認定社団法人「日本工業英語協会」専任講師として登録(2 年間)、コマツ、東芝などの企業研修に派遣され、実用的な英語の学習について講義。

1993年(H5) 9月

米国ボストンに本社を持ち、フランスに製造工場を持つコネクタ・サプライヤ「CSI」の社長、工場長の日本マーケットリサーチに同行通訳を契機に同社の日本連絡事務所業務を委託され、コンサルタント契約を締結。2年間にわたり、同社の見込み客とのリエゾン、マーケットリサーチに従事。見込み客に同行し、同社フランス工場に通訳出張。

1994年(H6) 4月

翻訳会社(株)日本テックとのコンサルタント契約に基づき、同社の社内、社外翻訳者の評価(6 ヶ月間)。

1995年(H7) 5月

翻訳会社(株)ISS内通訳翻訳学校の翻訳コース主任講師(1 年半)。

1996年(H8) 2月

(株)インターウェア社(Mac 用のアクセラレータベンダー)とコンサルタント契約を結び、米国のマーケットリサーチのために 1996 年中に 2 度米国に長期出張、合間にコレポン、電話通訳などを支援、1997 年には同社の米国法人 Vimage Inc. を設立のため合計 3 ヶ月カリフォルニアに滞在、法人設立、カリフォルニア州営業許可取得、事務所設立、従業員採用のための面接、営業部隊の訓練、NY の展示会への出展を指導、支援。

1996年(H8) 10月

新進翻訳者指導のためのカマントーク産業翻訳研究会をスタート(至現在)。

1997年(H9)

2000 年まで数度に渡り、日本翻訳連盟の「月例翻訳環境研究会」(東京・大阪)にて、主としてフリーランス翻訳者のためのパソコン環境の構築方法について講演。

2000 年秋の日本翻訳連盟「翻訳祭」では、「ローカライズのためのチーム翻訳について」講演。

1998年(H10)10月

ローカライザのL&H社と協力して同社社内で LAN 上で翻訳メモリを共有する方式(Trados を採用)によるローカライズのためのチーム翻訳の実験を開始。

1999年(H11)4月

イカロス出版『通訳・翻訳ジャーナル』に産業翻訳に関するエッセイ「ポプリ」を連載 (1 年半)。

1999年(H11)4月

チーム翻訳を自宅に移動。ローカライズのためのチーム翻訳を実験段階から主たる事業とするために事務所名を「宮代翻訳工房」に変更。以後、コンスタントにローカライズ関連ジョブを受注。

2000年(H12)10月

(財)石炭エネルギー協会の依頼により、インドネシアの石炭分野の官庁、企業からの研修生 10 名の石炭開発事業研修の通訳。1 ヶ月間にわたり、地震探査から、探査結果のコンピュータ解析、ボーリング、鉱区採炭計画、九州長崎県沖の池島炭鉱における採炭、搬出、選炭の実習に同行通訳。

2000年(H12)12月

個人事業におけるチーム翻訳の限界を感じ、チームを解散。

2001年(H13)3月〜
2002年10月

東京都新宿区にある大手翻訳会社(株)サン・フレアとコンサルタント契約を結び、教育・QA 担当部長として同社に勤務。同社内サン・フレア・アカデミーにローカライズ分野のプロ翻訳者を養成するための Pre-OJT コース(教室形式)および OJT コース(LAN 上での Trados を使ったチーム翻訳形式)を企画、開設、講師を務める。

2002年(H14) 2月

Trados Japan 社の東京、大阪における製品発表会で、ゲストスピーカーとして、「Trados をベースとしたチーム翻訳の構築方法」 について講演。

2002年(H14) 11〜12月

(株)サン グローバル コミュニケーションズの翻訳者再教育事業に参加。2003 年 2 月開設予定の教育コース向けにカリキュラムおよび教材を作成。

2003年(H15) の主な活動

1月: フリーランスに復帰

主な翻訳実績

  • 4月: CAD software Maya Learning manual
  • 6月: Cisco Quidway S6506 Ethernet Switch manual
  • 7月: Optical Phased Array Technology for High-Speed Switching whitepaper
  • 8月: Cypress PSoC manual
  • 9月: Cisco WAN Manager Database Interface Guide
  • 10月: Microsoft ISV Builder manual
  • 11月: SAP Infocube manual
  • 3〜11月: 米モルガンスタンレー社株式市場分析レポート(毎週)
  • 11月より現在: 日経 BP 向け IT 関連 Web サイト記事翻訳(月 2 回)

(サプライチェーン、ERP、BPR 関連の翻訳依頼が増えており、ビジネスマン時代の海外での経営、販売、製造の豊富な経験を基に、お客様にご満足いただける翻訳を提供しております。)


主な通訳実績

  • 1月: 米国大手法律事務所の依頼で、法務関連通訳(1週間)
  • 7月: 米国 Wal-Mart 社依頼で日本側提携先との通訳(3日間)
  • 10月: 英国健康機器メーカー依頼で日本の市場調査通訳(3日間)
  • 11月: 米国大手法律事務所の依頼で東京米国大使館におけるデポジション通訳(4日間)

コンサルタント活動

  • 2月: 松下電工との海外顧客との商談に関するコンサルタント契約(現在まで)


パソコン環境
  • ハードウェア:IBM 互換機 (Dell Dimension 900 Pentium III x 2 台および IBM ThinkPad x 2 台(R31およびA21e))をクライアント、Dell PowerEdge 600SCをWindows Server 2003 ベースのサーバーとして LAN を構築。
  • ソフトウェア:Microsoft Office 2000 Professional、Trados Translation Suite 5.5(チームエディション)、Adobe FrameMaker 7.0 および Acrobat 等を使用。
  • 通信環境:DION 光ファイバ回線。

趣味(かなり広いほうです)

  • 言語と文化、宇宙科学に関する読書。
  • テニス(クラブ『田園』- 田園調布 - に所属)、ウィンドサーフィン、スキー、インラインスケーティング(ローラーブレード)、ジョギング。
  • パソコン環境の整備と構築、囲碁、絵画鑑賞(好きな画家 = 荻須 高徳)。
  • 楽しいお酒(ホームパーティの開催、外での呑み会)。
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